新型コロナウイルスに感染しました

ブログをはじめて数日。

毎日更新を心に決めていたのですが

新型コロナウィルスに感染し更新が滞ってしまいました汗

せっかくなのでわたしが経験した症状をブログに残しておこうと思います。

 

今月から保育園がはじまった娘。

現在1歳3か月ほどですが、ここまでずっと自宅保育でした。

そのためかここまで大きく体調を崩すことはなく

去年1度高熱がでたくらい。。。

それもすぐにおさまりました。

 

そんな娘ですが、保育園が始まった初めての週末

早速39度越えの高熱をだしたのです。

保育園の洗礼・・・

噂には聞いていましたし、保育園に行く以上覚悟もしていましたが

まさか1週間と経たず熱を出すとは。

 

39.6度ということで

わたしと夫は大慌て。

このご時世発熱すると病院にかかるのも一苦労。

発熱でも診てくれる病院を必死に探しました。

何とか診てくれる病院を見つけて診察してもらったところ

突発熱だろうということで、薬もなしで様子見となりました。

こんなに高熱なのに薬が出ないことにも驚きましたが

家に帰って安静にすることに。

心配なら坐薬はいれてもいいとのことだったので

寝る前に坐薬をイン。

それでも翌日はまだ38.9度の熱が出ていました。

 

金曜日に発熱して、土曜日も引き続き発熱。

でも土曜日には時間によっては37度後半まで下がることも出てきました。

 

そして日曜日には安定して37度台まで落ち着くように。

たびたび8度まであがりますが、引き続き様子を見ていました。

そんな娘も月曜日になるころにはすっかり熱も落ち着いたため

保育園にも行けることになりました。

ほっと一安心していた翌日の火曜日。

 

この日は娘の小児科受診があり(発熱とは別件)

保育園はお休みして親子で小児科へ。

発熱もすっかり落ち着いていたので、

定期受診のお薬をもらって帰宅。

すると帰宅途中の車のなかでどうもわたしの具合が優れません。

車酔いかな?と思い家に帰ったら即ベッドで横にならせてもらいました。

 

この日は小児科受診でわたしの母が遠方から支援にきてくれていたので

母に娘は任せることができたのです。

 

横になって休んでいても一向に良くならず

ためしに熱を測ってみたら37.6度。。。

え、、、

発熱!?

37.5度以上あると受け入れてもらえない医療機関がほとんどですし

小児科受診時の検温では平熱だったため驚きました。

 

この日は気温も暑かったので

その影響もあるかと様子見する一方で、

いちおう夫へ連絡。

妻が発熱した場合の会社の対応を確認してもらい

引き続き休ませてもらうことに。

 

でも休めど休めど体調は回復しません。

それどころか何時間と時間をかけて

38度、ついには39度と熱があがっていったのです。

39度を超えたときに、やはりコロナ感染を疑いました。

すぐに夫に連絡を取り、相談の結果PCR検査を受けることにしました。

 

ありがたいことに最寄駅の近くで発熱した人にも

PCRを実施してくれる病院がありました。

高熱下がらぬ中検査にいくと、

出ました、パルスオキシメーター。

指先に挟んで体内の酸素飽和度を調べる機械です。

その時の数値は96と122。

これがどんな意味を指すのかわたしにはわかりませんでしたが、

お医者さんは、数値が低いので体内で何かしらの感染が起きている可能性が高い

とおっしゃっていました。

すぐにPCR検査をした結果、

 

陽性

 

コロナ渦になって早数年。

はじめてのコロナ陽性でした。

 

今日はここまで。

次回は自宅療養について記載していきたいと思います。

ではまた^^

 

 

 

 

 

 

 

 

発病はいつ?

こんにちは。

ブログ生活2日目。

今日はわたしの発病時についてお話していきたいと思います。

 

長きに渡る闘病歴はいつから始まったのか。

明確に病状が出たのは28歳のとき。

当時勤めていた会社がとてもハードワークで、

いまから10年ほど前なのでまだまだサービス残業が当たり前だったころ。

死にもの狂いで働いていたある日、一歩も動けなくなりました。

 

文字通り一歩も動けなくなったのです。

今でもその日のことは明確に覚えていて、

時間は午後7時過ぎ、外回りから会社に戻って事務処理をしようと

思っていたそのときでした。

会社に戻ろうにも動けないのです。

困り果てて上司に電話を入れました。

 

わたし「遅い時間に申し訳ありません。会社に戻りたいのですが

動けなくなってしまい帰社時間の目処がわかりません。

動けるようになりましたらすぐに戻ります。」

 

上司「わかった。ゆっくりでいいから戻っておいで。」

 

そこから1時間以上は動けずにいたと思うのですが

なんとか会社に戻りました。

 

その日から少しずつ、動けない、ぼーっとする、記憶が飛ぶ

などの症状がでてきており自分の身体がおかしいと感じていました。

 

ですがその頃は年度末で絶賛繁忙期!

休みたくとも休めない、病院に行きたくとも行けない。

今思えばそんなことはなかったのかもしれませんが、

入社1年目のわたしはそんな風に自分を追い込んで

毎日出社を続けていました。

 

ですが、次第に仕事にも支障が出始めて、

お客様からクレームが入るようになりました。

 

動けなくなったのが1月頃で、クレームが出始めたのが2月頃。

もう限界でした。

 

当時は退職者も続いており、わたしの仕事を引き継げる人員がおらず

すぐにお休みに入ることはできませんでした。

上司とも相談した結果、4月から休職しましょうということになりました。

身体が動かなくなってから数か月間、動かない身体に鞭打って出社を続けました。

 

このことを後になってとても後悔しました。

病院にすら4月になるまで行けなかったのです。

4月に入り休職の環境が整ったところでメンタルクリニックを受診。

 

うつ病 と診断されました。

 

そこからはベッドから起き上がれない、寝たきりの日々が続きました。

ご飯の用意もできないため、親に運んでもらう日々。

当時ひとり暮らしをしていたのですが、

隣県から週になんどもご飯を運んでもらいました。

 

これが長きに渡る闘病生活のはじまりでした。

 

始まりは突然でした。

でもずっと無理をしていた自覚はあります。

転職して当時の会社に入社したのは27歳の頃。

長く苦労してきた人生でやっと掴んだチャンスだと思っていました。

どんなに身体が壊れても心が痛んでも絶対に辞めない。

定年まで働き続けてみせる。

そんな風に思っていたのです。

 

そして本当に身体も心も壊れてしまいました。

休職してから実感したのは、無理をしたら身体は本当に壊れるんだということ。

 

若い頃の苦労は買ってでもしろ。

 

そんな言葉を聞いたことはありませんか?

若いうちは苦労するものだ、無理をするものだ。

そう自分に言い聞かせていました。

 

闘病を経て、寬解期(症状が落ち着いている期間)にある今なら

絶対に無理をしてはだめだとわかります。

 

チャレンジすることはいいことだと思います。

でも挑戦することと無理をすることは違うのです。

 

このブログにたどり着いてくださった方の中には

メンタルの不調に悩む方もいらっしゃるかと思います。

皆様に伝えたいのは、絶対に無理をしないでほしいということ。

 

メンタルはいちど壊れてしまうと基本的に完治はありません。

付き合いながら症状が落ち着いている期間を長くしていく。

それしかないのです。

でも、早めに気付いて対処できた方は

完治されている方もいらっしゃいます。

 

少しでもおかしいと思ったら早めの対処が大切です。

昔のわたしには耳の痛いお話です。

 

今日は長くなってしまいましたが最後まで読んでくださって

ありがとうございました!

 

ではまた^^

 

精神疾患ママの自己紹介

はじめまして。ブログ生活1日目のRIKKAです。

今日は初日なので、自己紹介をしようと思います。

 

RIKKA 36歳 女性

家族構成は夫・娘・RIKKAの3人家族。

いちおう主婦になるのかな?

仕事は現在していません。

そして主婦といいながら家事もあまりできていません。汗

理由は双極性障害と診断されており体調に波があるからです。

双極性障害の闘病歴は長く、トータル何年だろう。

最初はうつ病と診断されていたので

うつ病期間からいれると、あと数年で10年、、、。

 

病気で失ったものはたくさんあります。

健康、仕事、友人。。。などなど。

その絶望が大きくてなかなか再起できずにいたわたしですが

やっとまた人生を歩いて行こうと思うようになりました。

 

ブログを通じて人と関わることができたら嬉しいなと思っています。

 

今はこうして座ってパソコンに向かえるようになりましたが

以前は寝たきりで長い間病院以外の外出はできない日々でした。

そんなわたしが子どもを産んで、育てている現在。

数年前の状態からは想像もできませんでした。

 

どうしてここまで回復することができたのか

そして闘病が続くなかでの子育てはどうしているのか

など

このブログにたどり着いてくださった皆様とシェアしていけたら

そんな風に思っております。

 

ではまた^^